Legal Dungeon 感想

 (以前に書いた考察記事はかなり内容を詰め込んだ記事になってしまったので、こちらにネタバレありの感想記事を書いておきます。)

 

 個人の内面の葛藤をゲームシステム化していること、がSomi氏のゲームの特徴の一つだと考えています。

 

 『The Wake: Mourning Father, Mourning Mother』は、日記の暗号を解読して個人の心情を読み解くというゲーム。

 『未解決事件は終わらせないといけないから』は、記憶がバラバラになった人物の記憶のかけらを再構成するというゲーム。

 いずれもストーリーの展開はありますが、ゲームシステムは主に個人の内面を取り扱っています。『Legal Dungeon』もそのゲームシステム(=意見書作成)が表現しているのは、清崎蒼の内面に他なりません。

 

 『Legal Dungeon』の意見書作成では、マスコットキャラクターの”あおい”の誘導に従って、被疑者を倒してコインを入手します。

 ”あおい”は、警察組織の規範という役割を持ち、組織に都合が良い意見書(基本的には、重い罪での起訴意見)を作成するように清崎蒼にプレッシャーをかけます。”あおい”は清崎蒼と同じ名前を持つ分身ですが、組織が清崎蒼に期待する「理想の警察官」の姿なのです。”あおい”の誘導に反する意見書を作成することは、組織の規範に反することなので、爪弾きにされ「無能」の烙印を押されてゲームオーバーへと直結します。

  他方、ゲーム中において、ダンジョン内の戦いは清崎蒼の頭の中で起きていること、ダンジョンの被疑者は清崎蒼の良心であることが明らかにされています。つまり、(ダンジョン内で、)被疑者を逃がすことは清崎蒼が自分の良心に従って意見書を書いたこと、被疑者を倒すことは清崎蒼が自分の良心を圧し殺して意見書を書いたことを意味するのです。なお、事件によっては、被疑者を逃がすことが組織から期待されている場面もありますが、ここでは割愛します。

 以上のように、清崎蒼が警察組織の規範と自分の良心の板挟みにあることを本作のゲームシステムは表現しているのです。

 

 ストーリーを進めて、”あおい”の誘導に従い良心を圧し殺して意見書を作成し続けていくうちに、”あおい”の存在はより大きくなっていきます。

 最初は、中立を装ったただのマスコットキャラクターだったのが、段々と、怪しげな理屈を持ち出したり、被疑者に対する偏見を露わにしたり、最終的には、意見書作成の後に「また後で挨拶に伺いますね」と、清崎蒼の内面の存在にすぎなかった”あおい”がまるで現実へ侵食したかのようなことを言うようになります。

 ”あおい”の存在が大きくなり、良心が摩滅していくにつれて、清崎蒼の行動は法と道徳から逸脱していきます。

 

 警察組織の規範に従って良心を圧し殺し続けると邪悪な警察官ができあがる、という作者のメッセージが本作には込められているのです。